転職後すぐに忙しくなって仕事に追われるように過ごしていたら、社内の派閥争いっぽいもののおかげで半年で2回も上司が変わって、しかもモラハラとか「ねぇコンプライアンスって言葉知ってる?」てできごとが立て続けて起こったので、その時LINEブログにぽつぽつと書いていたやさぐれた働き人ポエムを、アソート風にお届けします。要は、愚痴れるくらいには元気になりました。
それはもう中途半端に働きたい。
過重労働とかワークライフバランスとかいうじゃないですか、それなりに自分の売り方が身についてきた昨今の自分は、深夜まで残業しなくても信頼されるようになっているし、飲みニケーションを使わなくても根回しできるようになったけれど、別にそれらが嫌いじゃない。ここ最近はそういうものを嫌うのがトレンドっぽいけれど。
深夜に、もうなんか頭良くまわんなくて「いいやもう終わりだー!」ていった時に上司が差し出してくれたカロリーメイトとか、部下が普段なら絶対にしないようなケアレスミスしてそれを指摘したあと一緒に笑いが止まんなくなったこととか、飲み会で酔った勢いで尊敬する先輩に「背中追っかけて行きたいです!」といったこととか、多分経験できなかった方が人生損したと思っただろうな自分、て気がします。
決して効率的な働き方が嫌いなわけではなくむしろ大好きだけど、たまに無駄なものがあった方が落ち着くなと思う。無駄というか遊びというかゆとりというか。
でももちろんそれを誰かに強要しちゃダメで、分かち合う気もない。なんかもう、自分の思い出の中にだけあればいいな。
ファッション誌を読みながら缶チューハイは飲まない。
女子力なんてものがなんの意味も持たない職場でがむしゃらに働いて、多分3年後には泡と消えるような無意味な成果を上げてみました。部下や上司とはそれなりに上手くやれているけれど、びっくりするくらいに薄っぺらくて、ちょっとでも状況が変われば吹き飛ぶ気がする。3年後には名前と顔が一致しなくなってる。
そんな思いで帰った寒空の下、お腹も空いてるけどとても何か作って食べる気はないからコンビニでピザまん買いました。セブンのピザまん、チーズマシマシのとろとろ。幸せの味。
ついでにどっかいってる女子力補充にファッション誌を買いました。綺麗な女の子たちが自分とは別のことに悩んで別なことに悩まないプロの笑顔をしてる。綺麗。
その綺麗な佇まいを見て、自分は意地でもアルコールに逃げたりなんかしないぞと思っているから、疲れた体に鞭打ってティファールでお湯を沸かしてはちみつ漬けの生姜にお湯を注いで飲んだ。暖かい。
ていねいな暮らしとかとは違ってて、もっと意地でも順序守って丁寧に行為を行う感じ。惰性なんかに負けないぞと。
仕事ができない時の言い訳に「意識低いから」を使いたい。
子供バージョンなら「やればできる子なんだよ!やらないだけなんだ」みたいなやつで、ありもしない楽観的観測を担保に、現在できてない自分を甘やかしたくなる日があるんですよ。たまにだけど。
仕事できないんじゃない、自分は家族や私生活が大切で仕事に対しては意識低いだけ、みたいな。仕事できるできないに意識の高低あんま関係ないのに。
別に仕事を生きがいにしてはいないのでそれで良いかと思う反面、今努力を怠ることで未来の自分が苦労するのも忍びない、みたいな。未来の自分は言い訳に甘えて過ごした過去の自分のことをどれくらい優しい目で見てくれるのか。
人を辞めさせる体力。
いや自分はないなーって話なんですけれども、誰かを辞めさせてそのレッテルが今後つきまとって、場合によっては訴訟になるリスク抱えるの、かなり辛いと思うしできる人はすごい。
使えないやつだ、て部署たらい回しになってきた人をある条件の元引き取ることになって、ただその人が想定以上に使えなかった。というか周りに悪影響与えるタイプだったんですよ。モラハラタイプ。
でもまぁ会社員やってればそんなこと日常茶飯事というか程度問題だと思ったので、適当に受け流して対応していたところ、上司からあいつ辞めさせるぞと。
その後の証拠固めなりなんなりは自分も対応したんですが、まぁこれが相当メンタル削られる。徒労感すごい。体力ないとできない。
個人的には、やっぱりこういうときはほどほど放置で周囲から切り離して、管理職や人事には困ってる現状をコンスタントに訴えてくのがコスパいいや、て思ったんですけれど、それだけ雇用は守られてるんだなーと。それを乗り越える決断した上司がすごい。正直上司の立場に自分がなったなら、むしろ自分から去ってくんだろうな、面倒なのは嫌だ。
酔っ払って気がついたら朝だった。
まぁそんな朝もあるよね。
問題はお化粧を落とさずに眠ってしまったことで、シーツ変えなきゃだし化粧落としだけじゃ不安だからピーリング使ってその分洗顔後の保湿も気をつけなきゃだしなかなかめんどい。でもまあこういう儀式めいた手順好きです。クリームを指先にのせてくるくると顔を滑らせながら、肌の調子を感じてみる。うむ、荒れてる。
儀式めいた手順。料理に対してもそう思ってます。
起きたらティファールでお湯を沸かし、フライパンを温めてバターを溶かしてベーコンと目玉焼きを焼く。目玉焼きは最後ちょっと水を足して蓋して蒸すのが好きです。その間冷凍庫からパンを取り出してトースターにかける。
で、後はもうトースターのチン、というパンの焼けた音とともに、パンにベーコンと目玉焼きを乗せてもしゃもしゃと食べながらはちみつ漬けの生姜にお湯を注いでズズッと啜ってホッと一息つくまでが一連の作業。平穏だ。
こういうちゃんと作業を追って進めればちゃんと終わるものって良いよなぁと。いつの間にか始まるのにでもちゃんと終わらないものってたくさんあるので。終わらせるのはなかなかしんどい。いつの間にかなっちゃう方が楽だと思う今日この頃。
見上げた月が眩しかったから。
最近ちょっと意地の悪いことをしている。20代前半の頃の自分ならしていなかったような社内政治の歩き方で、しかも割と板についている自分に内心驚いたり。大人になるって怖いですね。
全然美味しくないお酒を飲んで、楽しくない話題を笑いでごまかして、それでもちゃんと酔っ払って帰って、そして最寄駅で見上げた空に月が浮かんでるのを見たら足を止めてしまった。すごく綺麗。
多分こんな風に夜空を見上げて月に綺麗さにズドンとやられた人が古今東西今昔とたくさんいたんだろうなーと思ったら、月並みな悩みに笑えてきた。ところでなんで、月並みって平凡の意味を持つのでしょう。
自分かわいそう語りが得意な人たち。
上から目線の逆で、下から目線も強いよね、と思う。無敵な人ともいう、かなー。
ある程度地位とか良識があればなおさら、下から目線の方が耐性ついてない。世間の常識的何かに縛られて従わざるを得なくなる。
自分かわいそう語りが上手くて、自分の不幸を淀みなく語れる人にたまに出くわして、最初同情とか庇護欲とかそういうものに囚われてでも途中周囲の情報でひっくり返されることがたまにある。悲劇のヒロイン並みに大騒ぎされたり。
それぞれ自分の物語を生きてるんだから、不幸の程度なんてその人次第で相対的な比較なんてできないわけだけれど、でも「そういうこと」はたまにある気がする。自分かわいそう語りが上手くて、それがもはや鎧のレベルを超えて武器になっちゃってる人たち。
そしてもちろん、自分だって体調が良くなきゃそんな風に自分かわいそう語りがしたくなるんだけれど、でも武器にはしたくないのですよあれこれなんかこじらせてるのかな、どうなんだろう。